ビジュアルラーニング | 理念

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ビジュアルラーニングはコスト削減と利益拡大のための研修を請け負います。

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はじめまして、ビジュアルラーニング代表取締役の佐々木俊也(vl佐々木)と申します。
長年パソコンの研修に携わった結果、パソコン研修とはどうあるべきかということに対して自分なりの考えを持つに至りました。


    パソコンを学ぶのではなく、パソコンで仕事を学ぶ
    利益の拡大は経費節約よりも売上向上が効果的



この考え方を一人でも多くの方に伝えていきたいと思い、このサイトを立ち上げました。


国内のパソコンの歴史

パソコンの時代を4つに大別
8ビットパソコンが国内で初めて発売されてから30年以上が経過した。
ざっくりと振り返ってみると、4つの時代に大別される。
一般用途ほどCPUパワーは必要
2000年代になってホビー(趣味やホームユース)用を意識するようになったのは奇異な感じがするが、単純な処理しかできないマシンでも定型的な仕事の処理は可能であった。
他方、デジカメやビデオ編集などの趣味の世界や、家庭内での使用を想定すると、相手が一般人(素人)なので、相当なマシンパワーを要求される。
したがって、黎明期はビジネス用途に限定、成熟期は一般用途に拡大という構図になる。

1980年代 8ビット機、MS-DOS、BASIC言語の時代
1990年代 16ビット機、MS-DOS、表計算ソフト:Lotus1-2-3、日本語ワープロ:一太郎、ビジネスアプリケーションの時代
2000年代 32ビット機、Windows、MS-Office、ネットワーク(LANとインターネット)とビジネスアプリケーションの時代
2010年代 64ビット機、Windows、クラウド、ホビーとビジネスアプリケーションの時代


何のためにパソコンを使うのか?

国内では最下層の事務職から普及
日本国内にパソコン文化が入ってきた時に、社内で担当したのは最下層の一般社員だった。
そこで、とりあえず彼らが受け持っている仕事をパソコンに載せようとしたが、結果的には伝票発行だとか、売上集計のような定型業務の自動化だった。
和文タイプライター→日本語ワープロ
ビジネス文書は和文タイプライターで作成するという文化があったが、これが日本語ワープロの原型となった。
和文タイプライターをご存知の方は分かると思うが、罫線で作表するようなことができず、基本的に漢字だけを入力していた。(和文タイプライターでも横線は横棒の連続として入力できた)
この和文タイプライターで作成したスタイルが黎明期の日本語ワープロのゴールだったので、8ビット機のころから実用的なワープロソフトが誕生していった。
和文タイプライターはある種特殊技能であったが、かな漢字変換ができる日本語ワープロができてからは一般の社員でも文書作成ができるようになり、職場では大いに歓迎された。
米国では経営幹部のツール
ここで注目しなければならないのは、米国ではパソコンは経営判断を行う会社幹部のツールだったのに対し、国内では定型作業を行う一般社員のツールとなったということである。
パソコンの能力が上がると大規模なデータを扱えるようになるし、処理速度も速くなるが、時代が進んでも定型作業、ひな形文化の傾向は変わらず、現在に至っている。

果たしてそれでいいのかとvl佐々木は考えてしまいます。

パソコンを清書マシンにするな

規定用紙への手書き文化
パソコンを定型作業用やひな形作業用と考えても十分にコストが見合うほど、パソコンは安くなった。
世界的な量産効果だと思われる。
しかし、それでいいのだろうか?
日本語文書作成を例に考えてみよう。
もともと日本国内は欧米のタイプライター文化はなく、枠線が引いてある用紙への手書き文化だった。
したがって、従来の作業を繰り返し行うという面から考えると、ひな形を事前に作っておき、必要になったらそれを呼び出して使うことがとても自然だったのだ。
学校ではタイピングの訓練をしない
一部の企業は社員のスキルアップのために高速入力(主にはキーボードを見ずに入力するタッチタイピング)の訓練をしたところもあるが、全体的には本人任せという企業が多数派である。
読み書きを小学校から教える日本の教育現場が、大学を含めてタッチタイピングの訓練を正規カリキュラムに入れないのは不思議としかいいようがない。

組織の目的に沿うように使うべし

営利企業のパソコン利用がなぜ省力化で使うのか?
ここでいう組織とは、家庭やグループ、任意団体、行政、企業などである。
営利企業の目的は利益を出すことであり、行政は地域や国民へのサービスである。
家庭やグループ、任意団体でもそれ自体の目的があり、パソコンもその方向に沿って使われるべきである。
たとえば、営利企業でのパソコンの利用方法は、ユーザーが手作業でやらなければならなかった作業をパソコンに置き換えることで速くなったと喜んでいるケースがほとんどのように見受けられる。
営利企業の目的が利益を出すことなら、パソコンも利益を出すような使い方をすべきではないか。
少なくとも、習得段階ではそのことを中心的な課題として取られるべきではないかと
vl佐々木は思う次第である。

パソコンを学ぶからパソコンで学ぶへ

普及期はパソコンを学ぶ
パソコンが国内で発売されてから30年以上になるし、Windows95が登場してからでも18年になる。
新しく育つ人がいるのだから、新しくパソコンを学ぶ人がいるのは当然であるが、だからといって、Windowsの黎明期と同じ学習方法でいいということはないはずだ。
たとえば、Windows95ころにExcelなどの表計算ソフトを学習した人は、仕事の進め方は前提知識としてあり、それらをExcelでいかに処理するかを学習していた。(街のOA教室などで教わった)
成熟期はパソコンで仕事を学ぶ
しかし、現在はExcelなどのアプリケーションを使うことを前提として、先輩などに仕事を教わっている。
したがって、もともと仕事の仕方や目標を知っていた人たちに教えるような、操作研修(受講者がやりたいことを達成するための操作を教える)のカリキュラムではだめなはずなのに、初心者教育のカリキュラムはここ30年間でほとんど変わっていない。

パソコンを学ぶのではなく、パソコンで仕事を学ぶという発想の大転換を計るべきである。